家相についてのページをつくっているくらいだから、家相にこだわった設計をしているのだろうと思われるかもしれません。
 家相についての質問が当ホームページに意外に多く寄せられており、設計者としての考え方も問われています。
 そこでこんなページを作成することにしました。


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■ 私の考え方

 私は家相を宗教や信仰のひとつととらえています。
 宗教や信仰は精神的な支えです。 その気持ちを無視して住宅を計画することはできません。そして、住宅に限らず、建築の設計をする立場としては、宗教や信仰に対して常にニュートラルでありたいと考えています。

 私が住宅を設計する時、家相を考慮するか否かは、依頼者の意向次第です。家相の事を話題にするとき、依頼者の意見は、ほぼ四つのタイプに別れます。

 . 家相を考慮した計画としてほしい。
 . 家相はあまり気にしないが、ある程度考慮した計画としてほしい。
 . 家相は全く気にしない。
 . 家相についてよく知らないし、どうすればよいか迷っている。

 のタイプの人は家相について自ら研究し、知識も豊富で、独自の解釈も持っておられる方が多いようです。
 家相は、誰が見ても同じというわけではありません。実際、家相についての書籍を読むと、著者によっても解釈が違いますし、複数の家相見に意見を聞くと評価が一致しないので、判断に迷う場合もあるそうです。
 私は家相の解釈について依頼者と議論することはほとんどありません。もし問題が、機能や性能等に関することであれば、充分議論することが必要ですが、家相や宗教については議論すべき対象ではないと思っています。家相に対する依頼者の解釈を理解することが大切です。この場合、家相は敷地形状や建主の家族構成といった、設計の前提条件と同じ扱いになります。

 のタイプの人には、家相を考慮する程度についてまず意見を伺います。明確な考えがない場合、あるいは整理しきれていない場合は、こちらから提案することから始めます。
 多くの場合は鬼門を確認して、便所や玄関の方位について、なるべく凶とならない位置に計画して提案します。それで満足できない場合は、どの程度考慮するか打ち合せによって詰めていきます。依頼者の考える家相の程度が整理できれば、それにそって計画をしますが、Aの場合と違うのは、Bのタイプの人は家相に強いこだわりがあるわけではないので、計画上不都合が生じた場合は再度相談するなどして、柔軟に対応します。

 のタイプの場合はいたって簡単です。 家相を全く気にしない、という意向がはっきりすれば、以降、私の方から家相の話題がでることはありませんし、実際、計画を練っている過程でも、家相は考慮しません。
 ちなみに私が私自身の住宅を設計する機会があるとすれば、家相は考慮しません。従って、私自身が建主であればCのタイプに属します。

 のタイプの人が一番やっかいです。自分が家相を気にするべきかどうかで、もうすでに迷っておられます。実際、質問を寄せられる方もこのタイプが一番多いように思います。例えばこんな質問です。

 
ある設計事務所に住宅の設計を依頼し、ほぼ設計が完了する段階になって、ある親族から、家相上、玄関の位置が悪いと指摘を受けた。今の間取りが気に入っているのだが、間取りを変更してでも、玄関の位置を変えるべきかどうか。設計事務所は今さら気にすべきではないといっており、もし、変更するなら追加の設計料が必要ともいっている。支払わなくてはならないかどうか。

 設計料のことはともかくとして、玄関の位置を変えるかどうかについては何とも答えようがありません。これは建築的な問題ではなく、その人の考え方の問題です。
 「親族に何を言われようが自分は気にしないので変更しない」のか、「自分も確かに気になるので変更したい」のか、あるいは「自分は気にならないが親族の気持ちを大切にしたいので変更する」のか、家相に関しては結局自分で決めて頂かなくてはなりません。家相を宗教ととらえれば、自分はさておき、親族の気持ちを大切にしたいというのも理由として成立するかもしれません。
 もし、考えても決断できない程度のこだわりであれば、その設計事務所がいう通り、家相のことは忘れて、気に入ったプランを実現したほうがいいでしょう。家相はあなたの精神的支えにはならないと思います。

 家相に対する姿勢がはっきりしないまま、例えば、間取りの大きな変更をせずに玄関の位置を変えることができたとしても、問題の解決にはなりません。また別の家相上の問題が発生する可能性があります。


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 ここからは家相や風水についてあまり知識がなく、考慮すべき問題なのかどうか迷っておられる人のために、家相についての簡単な説明をしたいと思います。ただし、家相を取り入れた計画とするかどうかは、やはり御自身の判断です。


■家相、風水の起源

 家相風水の起源として、「陰陽五行説」や「仙道五術」を上げている文章が多いようです。いずれにせよ、紀元前、中国の伝説や思想、学問に起源があります。

 陰陽五行説は、中国的二元論である陰陽説と天文学から生まれた五行説が合わさったものです。
 陰陽説は二元論ではありますが、西洋のデカルト的二元論とは異なり、哲学というより、易学として発展しました。
 五行説は、五惑星の動きを観測する天文学から発展し、
木火土水金の五つの要素で世界が構成されているという説です。当時は天王星、海王星はまだ発見されておらず、惑星は五つとされていたので、「五」という数字は中国思想にとって特別な意味を持ちました。

 仙道五術とは、 「山」「医」「命」「卜」「相」の五術のことです。仙道五術の「仙」は「仙人」の仙で、五術全てを修めた者が仙人ということです。
 「山」は武術、禅道、気孔術など、山中にこもって修行を積むような術です。
 「医」は鍼灸、方剤、導引(指圧、整体術)、霊治のような医術のことです。
 「命」は四柱推命学や天文学のような宿命をみる学問です。
 「卜」は易学、五行節、気学、方位学のような運勢をみる学問です。
 「相」は手相、人相、家相、墓相、地相をみる学問で、ここに風水(墓相、地相)と家相が含まれています。従って、風水は敷地を選ぶときに、家相は住宅の設計をするときに考慮すべきということでしょうか。

 その後、家相は日本に伝わって宮廷建築に取り入れられ、大衆化して、江戸時代の後半に一般民衆に流行したようです。また、明治にはいって印刷技術の発達により、家相に関する書籍が多く出版され、ますます浸透していきました。


■鬼門の起源

 鬼門(表鬼門)は東北、裏鬼門は南西の方向とされています。鬼門の起源として、中国のある所に東北方向に枝の伸びた大木があり、その枝の下に鬼の出入りする門があったという伝説があります。ただ、その伝説は東北方向が凶とはしておらず、家相が日本で普及した後、東北方向を凶としたようです。
 また別の説として、古代中国では東北と南西に異民族が外敵として存在していたことや、大陸特有の強風がこの方向から吹いたことを挙げているものもあります。


■家相八方位吉凶図

 私は家相を考慮して計画をする際、家相八方位吉凶図という図表を使用しています。暦や家相、風水の本にはたいてい記載されている図で、特別なものではありません。

 家相を単なる迷信としている人でも、この図表をみるとなんだか気になってしまうかもしれません。こうすれば凶だとか、縁起が悪いとか言われれば、とりあえず避けておきたいのが人情です。「さわらぬ神にたたりなし」といったところでしょうか。
 そこで、自分は暗示にかかりやすく、できればそんなものは見たくないという人のために、このページには載せていません。見たい人だけここをクリックして下さい。

 見られた人は解ると思いますが、家相八方位吉凶にそって計画すると、水回り、開口部の位置や、住宅の外形までも制約されます。全て従わないまでも、鬼門、裏鬼門を気にするだけでも、住宅の計画に与える影響はかなり大きいのです。特に間口が狭く奥行きのある敷地で、鬼門の方向しか接道がない場合は、家相を考慮すると絶望的です。住宅のほとんどの部分が鬼門、裏鬼門のなかに入ってしまうからです。

 これは住宅を設計する上で大切な問題です。信じてもいないことに拘束されて、利便性や経済性を犠牲にするのは馬鹿げていますし、逆に家相を考慮しなかった事に後悔があればストレスとなるかもしれません。自分が家相になにを求めているのか、家相が自分の精神的支えになっているかどうか、じっくりと考えて判断してください。

 家相に科学的根拠はないと言っていいと思いますが、科学的根拠がないから大切ではないとは言いません。
 住宅には家相や宗教以外にも合理性だけでは割り切れないない要素が多々あります。たとえば、建主や家族のこだわりや趣味、習慣、様々な思い出のある家具調度品の置き場等、重要な計画上の条件となります。大切なのは、家相も含めてこういった条件を、計画に入る前に提示して頂くことです。
 やはり一番こまるのは、計画がかなり進んだ状況で家相のことを持ち出された場合です。もともと科学的根拠がはっきりしていないだけに議論することもできず、だまってやり直すような状況になります。


■家相の書籍について

 このページを作成するにあたって、あらためて家相に関する本を何冊か読みました。家相の本は売行きがいいようで、書店には家相・風水のコーナーが設けられています。

 家相に詳しい人の話をきくと、「こうすれば縁起がいい」とか、「こうすれば金が貯まる」とかプラス思考の言葉が出てくることが多いのですが、書店に並ぶ本はマイナス思考のものが多いように感じました。(表紙には「開運」とか「幸せをよぶ」とか書いてあるのですが・・・)
 多くの本は、易学者や家相鑑定士によって書かれており、こうすると病気になるとか、災難にあうとか、読者の不安を煽ることを目的にしているかのようです。しかも、本によって書いてある事が違うのも気になります。
 また、家相風水は統計学であると書いてある本もありますが、統計学といってもその統計をとった方法やサンプル数について、明らかにしている文章を読んだ事はありません。

 家相や宗教を信じるか信じないかは個人の自由ですが、信じるに到ったきっかけには善し悪しがあります。
 私は書店でこれらの本の目次を読んでいた時、人の不安を煽って、高額な印鑑や壺等を売りつけてる宗教団体を連想してしまいました。こういった家相の本を読んで、わざわざ不安な気持ちになったり、家相の信者になってしまうのは馬鹿げた話です。
 最後に、私が読んだ本の中から、営利的ではないと思った本を二冊紹介します。やはり著者は易学者や家相鑑定士ではなく、建築家のほうが適切と感じました。

●現代の家相/清家清 著/新潮社
●それでも家相を信じますか/江口征男 著/日刊建設通信新聞社


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